日本は不況は続いていますが、世界でも稀にみる資本主義国の成功している国の1つであり経済大国と言えます。
この経済大国に押し上げた背景には、日本資本主義の父と呼ばれる「渋沢栄一」の存在なくして語れません。
現代の日本を形作った存在とも言える人物です。
2024年度より40年ぶりに1万円札の顔になる日本の偉人を知らずして、新紙幣を使うわけにはいかないでしょう。
渋沢栄一の生い立ちや世の中の状況は?
生まれ
渋沢栄一は1840年に農商の家庭に生まれました。
栄一の兄は早くに亡くなっていたので、栄一氏は嫡男として育てられる形になりました。
農商はその名の通り農業以外に商いもしているので、栄一氏が生まれ育った家は裕福でした。
武士の家系ではありませんでしたが裕福な環境から父親も教育には熱心。
栄一を武士の子と同等に渡り合えるようにと論語など学ばせていたと言われています。
幕末の混乱期
渋沢栄一が生まれ育った年代はまだ江戸幕府が存在しており、ちょうど時代が大きく動く激動の時代に入っていた時期でした。
ペリーの黒船来航により幕府は長らくの鎖国を解消して開国に踏み切り、日本中で外国人が多く入ってきていました。
栄一は尊王攘夷派でした。
「尊王攘夷」はかんたんに言えば「天皇を守り外国勢力を追い払おう」といった思想です。
ですが従兄の尾高長七郎から説得されて考えを改め、23歳のときには一橋慶喜へ仕えることになります。
その人物こそ、後の最後の江戸幕府将軍となる徳川慶喜でした。
慶喜に仕える中でパリ万国博覧会の使節団として海外に渡ったことが、後の栄一氏に大きな影響を与えたと言われています。
渋沢栄一が行った偉業とはどのようなものか
江戸幕府は倒れた後、栄一はどうなったのでしょうか?
実は、明治政府の役人として働いていました。
そして退官後、日本で初めての銀行である第一国立銀行を設立しました。
この銀行の総監役になったのですが、栄一が行った銀行の長期の低金利の融資が日本の会社を支え、さまざまなチャレンジを行える土台を作りました。
後に地方にも銀行を設立していき、日本の金融市場を整備していきました。
栄一が金融市場の整備をおこなったから、日本は経済大国になれたと言っても過言ではないでしょう。
だから「日本資本主義の父」と今日呼ばれるようになったのです!
ちなみにこの第一国立銀行は後にみずほ銀行として現代も経済を支えています。
渋沢栄一が行った偉業はまだまだある!
銀行を作り金融市場を整えたことだけが渋沢栄一の偉業ではありません。
彼は500社以上の会社の設立したと言われています。
それも多種多様な業種であり、創設に関わった業種はほぼ成功した凄腕です。
栄一のようになりたいと志す若者が勉強会を作り、後に竜門社として数千人規模の会になり、日夜日本経済の発展に知恵を出し合い、さまざまなことに若者が挑戦する社会を作りました。
この竜門会は現在は渋沢栄一記念財団として運営されています。
設立に関わった多くの方が知っている会社で、東京海上日動や東京証券取引所などがあります。
会社も株式会社と言う現代の企業の形を作ったものであり、会社と言う形の礎を作ったのも栄一です。
証券取引所は今や当然あるべきところでしょうが、この取引所を作ったことで投資家が生まれ、株式を投資家に買ってもらったお金で事業を始める株式会社の制度ができたのです。
学校設立や養育院の設立と言った社会活動も精力的に行った!
日本継続の基盤を作り続けていた栄一ですが、教育機関として一橋大学や日本女子大学など設立にも惜しみなく尽力していました。
当時女性の教育機会は多くはありませんでした。
高等教育を女性が受ける機会ができたのも、この女子大学等を栄一氏が設立してからです。
日本は明治時代になり栄一氏の尽力もあり急激な発展を遂げていますが、闇の部分も多くあります。
孤児や老人、障害者などで実は明治時代の人口の過半数は生活困窮者だったのです。
それに対し栄一は「貧民救済は資本主義社会に必要なことである」と、政府が廃止した養育院を委任経営者として運営していきました。
後に日本赤十字社などの設立にも栄一は携わっているのです。
渋沢栄一なくして今日の日本はあり得ないでしょう。
渋沢栄一、2021年の大河ドラマで主人公に
2021年の大河ドラマ『青天を衝け』で主人公に取り上げられましたね。
ドラマは高視聴率で好評だったようです。
渋沢栄一は、2024年度からは一万円札の顔になります。
日本の発展に大きく貢献した彼のことを、私ももっと深く知ろうと思っています。
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