近松門左衛門は、江戸時代の初め頃~中期にかけての人形浄瑠璃や歌舞伎の作者です。
この人のメインである人形浄瑠璃は、芸人のパペットマペットのような後ろの人(黒子)が人形を動かして、まるで話しているように見せて代わりに人がしゃべるという人形劇です。
人形浄瑠璃や歌舞伎の作者は、つまり今でいうところのTVドラマや映画の脚本家ですね!
近松門左衛門の代表作は?
近松門左衛門は実に多作な人で、数多く作品が残っています。
その中でも代表作と言えば、以下になるでしょう。
- 出世景清(しゅっせかげきよ)
- 曽根崎心中(そねざきしんじゅう)
- 冥途の飛脚(めいどのひきゃく)
- 国性爺合戦(こくせんやかっせん)
- 心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)
- 女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)
このあたりが代表作でしょう。
特に、「曽根崎心中」は名高いですよね!
近松門左衛門の出身地と本名はどこ?
近松門左衛門は、承応2年(1653年)に、福井県(当時は越前国)の武士の次男として生まれました。
本名は、杉森信盛(すぎもりのぶもり)です。
近松門左衛門、京都へ移り住む
近松門左衛門が10歳を過ぎた頃、父の信義が吉江藩を脱藩。
浪人になり、都会であった京都に移り住みました。
近松門左衛門ももちろん父に同行。
浄瑠璃語り宇治嘉太夫と出会い、浄瑠璃を書くことに
移り住んだ京都で縁があり、人形浄瑠璃を書き始めました。
その後、歌舞伎も手掛けるようになり、歌舞伎の作者として学んだ経験を人形浄瑠璃にも生かして、多様な作品が作りました。
当時は、現代のように人形浄瑠璃や歌舞伎の作者を世に出す習慣がなかったので、近松門左衛門がいつから作品を書くようになったかハッキリはしません。
ただ、いくつかの人形浄瑠璃や歌舞伎の作風から近松門左衛門が、その作品の作者でほぼ間違いないだろうという話が数多くあります。
近松門左衛門作品のすごいところは?
近松門左衛門はそれまでの人形浄瑠璃や歌舞伎の常識を打ち破り、世界ではじめて庶民を主人公とした物語を書きました。
これは演劇界に凄まじい衝撃を走らせ、現在の演劇にも大きな影響を与えている世界的な偉人のウィリアム・シェイクスピアになぞらえて、日本のシェイクスピアともいわれています。
そのたぐいまれなる才能とありえないほどの有名作品の多さから、日本で最大の劇詩人として後世まで名を残すことになりました。
近松門左衛門の作品とされているものは、人形浄瑠璃の時代物が約90作、世話物が24作、歌舞伎が約40作、認められています。
中でも、人間的な葛藤や心情を非常に細かく描いた世話物が非常に有名です。
元禄16年(1703年)には、世話物の一つの「曾根崎心中」を公演しました。
とある醤油屋の手代とその恋人に焦点を当てた物語で、2人の心情をよく表しています。
当時からすると斬新なストーリーで、大きな反響を浴びました。
近松門左衛門の晩年
京保元年(1716年)に母の喜里が死にました。
近松門左衛門自身の晩年は、非常に病気にかかりやすくなっていて、京保9年(1725年)の11月に、72歳で病気により亡くなりました。
当時の寿命からしたら、人生を謳歌して大往生したと言えますね!
辞世の句に「それぞ辞世 さるほどにさても そののちに 残る桜が 花し匂はば」と、「残れとは 思ふも愚か 埋み火の 消ぬ間あだなる 朽木書きして」の2つを残しています。
あまねの近松門左衛門推しポイント
代表作の人形浄瑠璃「曾根崎心中」でもすごく見て取れるように、近松門左衛門の作品群は登場人物たちの感情をこと細かに描いているので、見ている側がぐっと感情移入してしますね✨
ですがもしこれだけであれば、他の色々な作品にもありがち。
でもこの「曾根崎心中」の凄い点は、話の登場人物がお偉いさんなどの上流階級ではなく、一庶民にスポットを当てているところ。
そこがとてもポイントが高いです!
ある醤油屋の手代とその恋人に焦点を当てたストーリーは、現代であれば特に何の特色もない一般人に焦点を与えるのは当然といえば当然の手法だけど、当時の常識だとあり得ない話です。
いつの時代でも突き抜ける人は、どこかその当時の常識なんて打ち破ってしまうパワーを秘めていますね。
やはり突出した人というのは、一般人とは少し異なる発想を持っていることがわかります。
【まとめ】あまねの感想
最近、日本文学に触れる機会がありその過程で近代歌舞伎の祖の近松門左衛門も学びました。
彼を深く知るにつれて「なんてすごい人なんだ!」という感情が高まりました。
昔の伝統文芸のころから現代のTVドラマなどにも通じる考えを取り入れていて驚きです。
現代ですと人形浄瑠璃や歌舞伎などに縁がない方も割と多いかと思います。
この記事を機に、ちょっとその世界を覗いてみてはいかがでしょうか?
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