今から100年ほど前、大阪南部の堺にある和菓子の老舗「駿河屋」を営む家に、与謝野晶子は生まれます。
彼女は店番をしながら、源氏物語など平安時代の作品を読みふけり、その中に出てくる和歌をまねて歌を作る、文学好きの少女でした。
後に恋の歌や戦争をなげく詩を発表し、女性の地位の向上に努力して、近代日本を代表する女性として広く知られていきます。
パワフルで情熱的な歌人・与謝野晶子
彼女はとてもパワフルな女性で、夫で歌人である与謝野鉄幹との間にできた12人の子供を育てながら、売れっ子の歌人として活動します。
一時は収入がなくなった夫に代わって、一家の大黒柱として家計を支えた時期もあり、家事・育児・仕事・さらには仕事がなくなった夫のメンタルケアまでこなしていたようです。
現代では働きながら家事育児に奮闘する、いわゆるワーママと呼ばれる女性たちも増えていますね。
与謝野晶子はまさに現代におけるワーママの先駆けといった存在ではないでしょうか。
与謝野晶子の代表作『みだれ髪』
彼女の代表作として最も有名である『みだれ髪』は、当時の若い女性達の人気を集めました。
この歌集の中で、夫との恋や、若い乙女心を素直によみあげた詩がとても評判になり、彼女の名前はいっきに有名になります。
特に彼女の詩の中でも、情熱的で有名なものをご紹介します。
やわ肌の あつき血潮にふれも見で
さびしからずや 道を説く君
(訳)この私の柔らかい肌の熱い血のたぎりに触れもしないで、さびしくはないのですか?ねぇ、人の道を説いているあなた。
なんだか、どきどきするような詩ではないでしょうか。
この詩は、文学に夢中になっている与謝野鉄幹に、晶子の胸にたぎる想いに気付いてほしい、と訴えかける詩です。
それまでの日本の伝統を破って、恋愛の感情を女性の方から歌ったり、肉体の美しさを讃えるという大胆な作品が『みだれ髪』に多く収められています。
当時は封建道徳といって、女性は人を好きになっても、その気持ちを表現するのは良くないという考えがあったため、一部の人からは批判を受けることも多かったようです。
しかし、森鴎外、北原白秋といった数多くの作家たちは、彼女の作品を新しい文学だとして支持しています。
与謝野晶子『君死にたまふことなかれ』
『みだれ髪』によって世の中に大きな問題を投げかけた与謝野晶子ですが、その3年後にまた話題の人となりました。『君死にたもうなかれ』という長い詩の発表がきっかけです。
この詩では、日露戦争で中国へ戦いに行くことになった弟の無事を願い、必ず生きて帰って欲しいと訴えかけているのですが、かなりの批判を受けています。
家族を想い、戦争を憎む気持ちは現代ではあたりまえのことですが、当時は違いました。
明治時代の日本では、戦争に行く人に対して「立派に戦って立派に死んでこい」と言わなければいけない時代だったので、彼女は非国民だと罵られ、家を壊され、それはひどい目に合います
ですが、それに対して彼女は「戦争を憎み、命を大切に、と思うのは人間として当然の感情である。
また、心の真実を表現することこそ、詩や歌の最も大切なことである。」と反論して一歩も譲りませんでした。
戦争をたたえる人だけが愛国者だとされがちであった明治時代に、正々堂々と反論をする彼女は、まれにみる勇気を持った女性であるということがいえます。
2度の『源氏物語』の現代語訳でも知られる与謝野晶子
それから与謝野晶子の功績として忘れてはならないのが、『源氏物語』を現代の言葉に2度も直したことです。
彼女は少女の頃から『源氏物語』に対するあこがれが強く、その作者の紫式部のことを自分の師のように思っていました。
2回目の全訳をほとんどやり終えた時、関東大震災でそれまでの原稿の大半が燃えてしまう、という災難もありましたが、そこからさらに17年もの年月をかけて完成させます。
しかし、その完成を待っていたかのように彼女は重い病気にかかり、それがきっかけで、『源氏物語』翻訳完成の3年後にかえらぬ人となりました。
まとめ
与謝野晶子の作品は、学校の教科書にも載せられて、今もなお多くの人に愛されています。
私も、彼女の詩を愛する数多くのうちの1人ですが、私が何より彼女に惹かれる理由は、その人柄にあります。
情熱的で、自分の考えを曲げない芯の強さがあり、女性の地位の向上のために尽力した与謝野晶子。
まさに時代を切り開く女性達の憧れの存在です。
現代を生きる女性であれば、彼女の生きざまに感銘を受ける人も多いのではないでしょうか。
まだ与謝野晶子についてよく知らないという人がいれば、ぜひ彼女の伝記や詩集を手に取ってほしいです。
きっと、心動かされる「何か」を感じてもらえるのではと思います。
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