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「吉田松陰」その生き方と死にざまを探る

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吉田松陰 その生きざま

現代の吉田松陰の評価は一部ではその思想が過激すぎたという考え方もあり、はたして「明治維新」に影響を与えたであろう彼の思想は成功したのだろうかという意見もあるようです。

あまね

私にとって吉田松陰という人は、あの激動の時代にあって、自分はこの国をどう守り、どう発展させていくべきかを真剣に考え抜いた私心のない高潔な人であったと思います。

これから「吉田松陰」その生きと死にざまを私なりに私なりに探ってみたいと思います。

目次

吉田松陰の生涯

吉田松陰
吉田松陰

吉田松陰、生まれる

吉田松陰は文政13年(1830年)長州藩(現在の山口県)に生まれ、安政6年(1859年)に処刑されるまでわずか30年という短い生涯ながら日本の大変革に大きな影響を与えた、思想家であり教育家でもありました。

彼は幼少のころから天才の誉れ高く、藩校でも年長者や藩主に対して講義するまでに成長していきます。

現状に甘んじない生き方

吉田松陰と金子重輔像
吉田松陰と金子重輔像

しかし彼の生き方は現状に甘んじることを良しとせず、日本国中を見聞することで諸外国の事情も知ることにより、特に「アヘン戦争」で清国がイギリスに敗れたことは将来の日本に対する危機感をより一層強くしていきます。

日本がこれから西洋の列強と対等に渡り合っていくにはどのようにすべきか、そしてその為には外国の事情に精通する必要があるという思いが先に立ち、そこにはただひとえに「日本国」の為に自分がなすべきことは何かということを常日頃から考えている人であったことがわかります。

吉田松陰、黒船に密航して投獄

1854年、その思いが高じて彼は「黒船」への侵入を企てペリー提督にアメリカへの渡航の許可を直談判します。
密航は重罪とわかっていても、国を思う気持ちが先に立ちわが身を顧みず無謀な行動をとったことは先に述べたように清国がイギリスに敗れ危機感を募らせたことも一因だったのではないでしょうか。

その後彼は密航の罪で投獄されます。

囚人になっても悲観せず、ただ進み続ける

一旦投獄されると出獄の望みは完全に絶たれます。
しかし彼は、投獄の身でありながらもその環境に何ら悲観することなく学ぶことを怠らず、周囲の囚人をも巻き込んでその環境を学びの場、議論の場としていくのです。

彼はここで「孟子」の思想を他の囚人たちに教え自らも学んでいきます。
しかしながら松陰の素晴らしいところは通り一辺倒の「孟子」の講義ではなく、自らの考えも踏まえてその思想の良し悪しを教えているところです。

人は誰しも将来が見えなければ絶望し悲観していくものですが、そういう生き方を彼は潔しとしませんでした。

あまね

肝が据わっているとは松陰のような人を指すのではないでしょうか?

私が吉田松陰を好ましく思う一つは「おかれた場所で自分がなすべきことをなんの躊躇もなく、てらいもなく泰然と行っている」ところです。
現代人にはない生き方であり、なかなかできないことだと思います。

吉田松陰と松下村塾

松下村塾
松下村塾
松下村塾
松下村塾

1855年、松陰は出獄が許され故郷で叔父が開いていた「松下村塾」を引継ぎ、維新の礎となる講義を行い、維新の英達となる人々を育てていきます。

しかし、時代は彼に安息の日々を与えてくれませんでした。

幕府の重鎮がアメリカと不平等条約を勝手に結んだことが一因となり倒幕の機運が高まってきて、それを抑えるために厳しい弾圧や粛清を幕府は始めます。
いわゆる「安政の大獄」が行われました。

再び囚われの身に

これにより松陰も囚われの身となります。
彼は囚われたときに自ら「老中暗殺計画」を企てたことを暴露します。

あまね

なぜ松陰は、ここで「老中暗殺計画」を暴露したのでしょうか?

彼の思いの中には「この身は死んでも、この国を守りたい。そして自分と思いを同じくしている同胞が必ずこの国を立ち上がらせてくれる」という自己犠牲のうえの熱い気持ちがあったのでしょうか?

彼のこの思想は自己犠牲という言葉でいうとよく聞こえますが、私は彼はこのとき冷静だったのだろうか、国を守る気持ちが強すぎて判断を誤ったのではないだろうか、と胸がざわざわします。

ここまで国を思う気持ちがある人物であればこそ生きて「維新」を支える人々を教え導いて欲しかったと思います。
あくまで私見ですが、自ら自白したのであれば死に急ぎすぎたのではないかと残念な気がします。

1859年10月。
吉田松陰は処刑されます。

私は文頭に彼の生き方と死にざまと書きました。
人は自分の身が終わるときどのようなふるまいをして終わるのか。
ここにその人の人格のすべてが映し出される気がします。

松陰の介錯されるときのふるまいは人として一級品であったとあり、私が最も尊敬する死にざまであったと思っています。

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