坂本龍馬は、知らない人がいないほど有名な幕末のヒーローです。
個人的に日本史の中では幕末はかなり好き!
とても個性的な人物が次々に登場しますよね。
私は「坂本龍馬」が好きです✨
おそらく私だけではなく、日本国内でも多くのファンがいるかと思います。
2010年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』(主演:福山雅治)の影響も大きいでしょう。
龍馬は31年という短い生涯でありながらも日本国のために尽力した歴史上の人物のひとりです。
坂本龍馬の生涯
生まれ
1836年、龍馬は土佐藩(現在の高知県)で生まれました。
低い身分であったものの経済的には恵まれた家庭で育ちました。
二男三女の末っ子ということもあり、甘やかされて育てられたようです。
そのせいか幼少期の龍馬は勉強もできなく弱虫だったため、いじめで塾を退学するということもありました。
諸説ありますが10歳過ぎまでおねしょをしていたようです。
おねしょを遅くまでするということが大器晩成型といわれているのは、龍馬のおかげかもしれませんね。
江戸へ
そのような幼少期を経て17歳のときに剣術修行のため、江戸に行くことになります。
その年(1853年)にペリーが浦賀へ来航。
尊王攘夷の思想を学ぶことになり、その後、土佐勤王党(尊王攘夷を掲げてできた組織)に参加することになります。
亀山社中を結成
さらにその後、土佐藩を脱藩し、亀山社中(のちの海援隊)を結成しました。
その亀山社中は当時では非常に画期的なことであり、現代の株式会社のベースといわれており「日本初の株式会社」と称されるようになりました。
薩長同盟
その亀山社中結成の翌年には薩長同盟を成立させました。
それまで交流することがなかった薩摩藩と長州藩に対して、現実的な条件を提示し交渉することによって同盟を結ぶことができました。
現実的な条件とは、「亀山社中が薩摩藩名義で兵器を調達し、当時、幕府ににらまれ表立って兵器を買えなかった長州藩に転売、その代わりに米が足りていない薩摩藩へ長州が米を送る」というものでした。
こうして薩摩藩と長州藩に対し好条件で交渉し、同盟を結ぶということになりました。
この薩長同盟が後の倒幕するきっかけといわれています。
個性豊かな幕末の中でも光る坂本龍馬のキャラクター
坂本龍馬は、個性的という意味では、その最たるものだと思っています。
ただの奇人変人は他にいますが、坂本龍馬の場合、その生涯を辿ってみると、今に生きるわたし自身が励まされるような気持ちになるのです。
例えば龍馬は幼い頃、「よばあたれ」と呼ばれ、みそっかすの泣き虫だったと言われています。
末っ子で母親に甘えてばかりだったようですが、その母親も病気で亡くなってしまいます。
泣くばかりの龍馬を叱咤激励し、男らしく育てなおしたのは、龍馬のお姉さんの乙女さんでした。
乙女さんのスパルタのかいあって、龍馬はその後、土佐城下の郷士の中でも頭角を現してきます。
友人の武市半平太と一緒に土佐勤王党を立ち上げ、仲間と一緒に活動を始めるのですが、このあたりが、すでに痛快です。
みそっかすが強い男になるというストーリーは、胸がスカッとするものですね。
坂本龍馬は武士らしくない、彼らしいエピソード
盗みを働いた仲間を逃がす
江戸に遊学した時に、同じ土佐藩の仲間が酒に酔った勢いで盗みを働いてしまいます。
潔く処分を受けるべきと武市半平太が考えるのに対し、龍馬は死んだら何もならないからと言って、仲間を逃がします。
この後、何度も龍馬の人生で彼の人となりを知るようなエピソードが見られるのですが、江戸遊学時に仲間を逃がした出来事が、彼らしさを表す最初のエピソードのような気がします。
避けられる戦いはしない
討幕の時代に入り、幕府と敵対する立場となってもなお、龍馬は敵を殺したいとは決して思っていません。
避けられる戦は避けたいといつも考えており、それがそのまま彼の行動に繋がります。
彼は、大きな目標を前に、敵も味方もないという考え方をします。
それは、今までの日本の武士にはなかったものでした。
あの有名な薩長同盟の立役者となったのは、他でもない坂本龍馬なのです。
憎しみ合う薩摩と長州を結び付けることができるなんて、当時の日本では、誰も考え付きませんでした。
しかし龍馬は、幕府を倒し、新しい時代を作るには、薩摩と長州が手を取り合わなくてはならないことに気づいていたのです。
龍馬の素晴らしいところは、それに気づいた時からためらいなく行動に移すことができたところです。
彼の行動力はすさまじく、休む間もなく走り回っています。
きっと、もともと体力がある人だったのだと思うのですが、それ以上に、新しい時代への情熱が燃えていたのでしょう。
説得の名手でもあった龍馬
もう一つ、彼の凄いところは、話すことで人を動かすところです。
彼は説得の名手でした。
これと思った相手には、自ら動いて会いに行き、話をします。
相手は龍馬の考えを受け入れ、仲間になってゆくのです。
そういうわけで、龍馬の人脈は、すさまじいスピードでどんどん広がってゆくのですが、これは龍馬自身の魅力故だと思うのです。
言っていることが正しくて、なるほどと思わせることができたとしても、「この人なら大丈夫だ」と思われるようなオーラがなくては、そう簡単に心を許すことなどできないでしょう。
ましてや時代は幕末、油断をしてしまったらすぐに足元をすくわれ、下手をしたら命まで失ってしまうのです。
この人になら命をかけても良いだろう、と、思わせるような何かが、坂本龍馬にはあったのに違いないのです。
恋多き人、坂本龍馬
わたしは、もしタイムトリップが叶うなら、ぜひ坂本龍馬に会いに行きたいと思っています。
龍馬は女性ファンが多いと聞きますが、その理由の一つにモテることがあると思います。
龍馬は恋多き人でした。
坂本龍馬と妻おりょうのエピソード
土佐藩に居た時も、脱藩し、江戸に来た時も、龍馬には恋話がありました。
その後、京都で運命の女性、おりょうに出会います。
薩長同盟が成立した後、龍馬とおりょうはめでたく結婚し、日本人初の新婚旅行を楽しむのですが、これは本当にロマンティックですよね。
坂本龍馬と佐那のエピソード
個人的には、龍馬のラブストーリーと言えばおりょうさんよりも、江戸に寄宿していた道場の娘さん、千葉佐那さんが思い浮かびます。
龍馬は佐那さんに自分の片方の袖を贈っていますし、佐那さんも龍馬と結婚するのだと心に決めていたようです。
だが、龍馬が江戸に留まることはなく、その後、龍馬はおりょうさんと出会ってしまったので、佐那さんの思いが報われることはありませんでした…。
悲しく美しい恋物語だと思いますし、龍馬と佐那さんのカップリングは、今でも密かに人気なのではないでしょうか。
坂本龍馬のお墓
満31歳と若くして散った龍馬。
彼のお墓は、京都市東山区の霊山墓地にあります。
中岡慎太郎の墓と並んでいます。
龍馬を偲び、訪れるファンも多いようです。
あなたも機会があれば行ってみてはいかがでしょうか?
もし坂本龍馬が現代を生きていたら…?
龍馬がこのご時世に生まれたらどうしていたのかと考えることがあります。
龍馬の時代とは大きく情勢は変わり、内乱しようとすると現代では内乱罪(国家転覆罪)という非常に重たい罪になってしまう可能性があります。
さらに政治に参加するためにはコネと金が必要になってきますので、ハードルは非常に高いものという印象があります。
龍馬は出世のためでもなく、藩のためでもなく、日本のために動くことを宣言し、自ら行動し奔走していたからこそ多くの人を動かすことができたのでしょう。
日本のために私利私欲を二の次にして、本気で取り組めるのか、またどのような行動をするべきなのか、やる前から諦めていたりしていないかと働きかけていたのかなと想像でき、「愛国心」という言葉がぴったりに思います。
時代は令和になり、ワールドワイドになったせいなのか、ただ単に愛国心が希薄になってきているのか、ただ私利私欲のために生活しているのか、時代は変わってきています。
そのため龍馬から学ぶべきことが非常に多いと感じます。
【まとめ】現代でも愛されている坂本龍馬
龍馬の地元である高知県には13.5mの銅像があるのは有名ですが、そこ外にも19箇所あるというのはあまり知られていないと思います(北海道、東京、京都、愛媛、高知、長崎、鹿児島など)。
それだけ龍馬は現代でもヒーローということでしょう。
彼のように、国のために情熱を注ぐことができることは純粋にかっこよく、一人の人間が今の時代・私の生活にどのような影響があったのだろうと考えるとワクワクしてきます。
昭和の人気アニメ「巨人の星」のなかで、「死ぬときはドブの中でも前のめりで死にたい」という龍馬の名言とされており、その影響で龍馬を好きになった方も多いようです。
でも史料にはそのような名言は残っていないので、原作者の創作なのかなといわれています。
アニメで名言を残すくらい好きだったと解釈することもできるので、いつの時代も坂本龍馬ファンは多いな、と一ファンからすると嬉しい✨
コメント