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豊臣秀吉が天下統一を果たすまで。生涯を象徴する2つのキーワードとは?

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豊臣秀吉 天下統一を果たした男

なぜ豊臣秀吉について、好きで魅力的な人物として認識しているのか?

それは、史実上明確なことは不明ではあるけれど、

みこと

足軽とも農民ともいわれている程に、身分の低い者の子として生まれた者であったとしても、努力と運気を味方に、懸命に生きていれば、願いは叶うのですね✨

秀吉は、そのような勇気と希望を持たせてくれる歴史的な大偉人というイメージが強いですね。

現役の社会人として生きている自分の胸に、秀吉の大成功例をしっかりと刻んで過ごしていきたい、と考えさせてくれることが、その理由なのだろうと考えています。

秀吉の生涯について振り返りまとめていくことで、いつかは自分の願いは叶うものだということを再確認、大きな勇気と希望を、自分の中で、大きく膨らませていきたいと考えています。

目次

豊臣秀吉の生涯を物語る2つのキーワードとは?

豊臣秀吉
豊臣秀吉

なお秀吉の生涯を語るうえでのキーワードは、以下の2点だと考えています。

  • 人を惹きつける人間的な魅力(人たらし)
  • 願いを叶えたいと思う強い強い欲求

今回はこの2つが、生涯の中でどのように表れているのかを中心にまとめて行きます。

豊臣秀吉は身分が低い生まれ。織田信長・徳川家康とは決定的に異なる!

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康
左から、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康

秀吉は、戦国時代の真っ只中である天文6年(1537年)、尾張国中村(現在の愛知県名古屋市中村区)に、足軽の父と母の間の子として出生しています。

この点、同じ戦国時代の英傑とされる織田信長や徳川家康とは、決定的に違っていますね。
まあ生活レベルに相当程度の差があることが想像でき、食べたい(飲みたい)などの生理的な欲求が満たされない日常が続いていったと考えられます。

しかも実父が亡くなり、継父が家に入ってきた関係で、貧しさに居心地の悪さも加わってしまったため、人としての基礎的な欲求について全く満たされることがない状態で、青年期を過ごしてしまったのでしょう。

みこと

このことが、将来に対する願いを叶えたいと思う強い強い欲求が生まれ育んでいった要因だと私は考えています。

食べたいものを腹いっぱい食べ、自分を馬鹿にしてきた人達を見返したい。
そのために秀吉は武士を志し、仕官先を探し行きついた先が、織田信長であったということです。

人たらしぶりを発揮!周囲の人たちを惹きつける

豊臣秀吉とうぐいす

信長は家柄や身分に問わられない実力主義的考え方をする先駆的な武将であったことも幸いし、信長を惹きつける人たらしぶりを最大限発揮、織田家中で実績を積み上げ、頭角を現していきます。

信長だけではありません。

信長の領地拡大のためには味方にしておく必要のあった地方の有力土豪衆の蜂須賀正勝、もともとは敵方の美濃の斉藤氏の有力家臣であった竹中半兵衛を、得意の人たらしぶりを発揮して、自軍への引き入れに成功しています。

その後も信長に従軍、浅井・朝倉連合軍を打ち破り、武田氏を滅亡に追い込み、信長の天下統一事業に向けて多大な功績をあげていく中で、黒田官兵衛も味方にしています。

黒田官兵衛は、信長が本能寺の変で明智光秀に命を取られてしまった後、「中国大返し」を成功させたことが有名で、同じ秀吉の軍師であった竹中半兵衛と並んで、戦国時代随一の優秀な軍師であったとされる武将です。

豊臣秀吉の天下統一までの道のり

豊臣秀吉の天下統一

秀吉の人たらしぶりで惹きつけられた人物は他にもいます。
もともとは信長に仕えていた茶道の師匠であった茶道(わび茶)の大成者であった千利休を従わさせることにも成功しています。

秀吉というと彼の魅力によって惹きつけられた優秀な武将たちがそばにいたことで、墨俣一夜城(1566年)、浅井・朝倉の挟み撃ちという信長絶対絶命の大ピンチをしんがりとして救った金ケ崎の退き口(1570年)といった戦績をあげることに成功。

また弟の優秀な経済部門参謀の豊臣秀長を擁して、得意の兵糧攻め戦法で戦上手な面がクローズアップされることが多いですね。

信長の後、次の天下人として天下統一していきたいという強い欲求を満たしたいうえで、そうそうたる大名たちが師匠と仰ぐ千利休を従えたことは、政治力を増強させていく上でも、大きなポイントであったと考えています。

このように信長の天下統一事業で功績をあげ、信長の死後は、織田家中内での権力闘争に勝利、最大のライバルと目された徳川家康も配下に組み入れることに成功。

そして小田原の北条氏を滅ぼして天下統一を果たしました(1590年)。

「人を惹きつける人間的な魅力(人たらし)」と「願いを叶えたいと思う強い強い欲求」、この2つが見事に作用して、身分の低いものが天下人に登り詰めるという夢物語が現実のものになったわけです。

みこと

秀吉は、政略結婚が普通の時代の中で、本当に結婚したい人(ねね)と結ばれていますし、私生活の部分でも、夢物語を完結させています。

強い欲求が仇になった晩年

そんな秀吉ですが、晩年についてだけは、この強い欲求がいわば仇になってしまったような気がしています。

甥の秀次を自刃させる

豊臣秀次
豊臣秀次

また実子を後継者に据えたい欲求が強すぎてしまったためか、大切な数少ない身内である豊臣秀次を結果的に死に追いやってしまったことは、豊臣政権崩壊に繋がってしまった要因だと考えています。

朝鮮出兵

日本国内だけではなく、大陸まで支配の欲を広げ過ぎてしまったことは残念です(文禄・慶弔の役:1592~1598年まで)。

みこと

普通の言い方ですが、願いが叶ったことに対して感謝の気持ちを持っていればよかったのにと、つくづく思う自分がいます。

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